「善きもの」とは何か?/高野山真言宗「実践カウンセリング講座」に思う。

chizan

先日、京都の真言宗大本山智積院で開催された高野山宗教カウンセリング研修会「実践カウンセリング講座」に参加してきた。

これまで書籍で読んだくらいで、カウンセリングを講座で学ぶのは初めて。しかも、仏教系のカウンセリング講座だったため、どういう内容になるか想像ができなかったのだが、なかなか面白かったので一度感想をまとめておきたい。

どんな講座?

「実践カウンセリング講座」では、3月15〜16日の2日間で7時間のカウンセリング概論と簡単なワークショップが行われた。単発の講座ではあるが、高野山真言宗が主催する「心の相談員養成講習会(以下、養成講習会)」の4月開講に向けたプレ講座的な位置づけにあり、講義中には養成講習会への参加の呼びかけなども行われていた。4〜50名ほどの参加者にも養成講習会への参加を考えている人が少なくなかったと思われる。

講師を務められたのは、飛騨千光寺の住職で宗教者の立場からカウンセリングを行っている大下大圓師。寺院内だけではなく、飛騨の病院などでも宗教者としてカウンセリングを行っており、京都大学大学院医学研究科で講師もされている。心の相談員養成講習会でも講師されており、卒業生が参加する高野山足湯隊の東日本大震災被災地での活動紹介も行われた。

講座では、カウンセリングの定義や心理学者とその基本的な概念、そしてカウンセリングの技術的な側面についてロジャーズのクライエント中心療法の立場からの解説とワークショップとしてアイスブレイクやカウンセリングのロールプレイが行われた。

仏教カウンセリングって?

個人的に気になったのが、一般的なカウンセリングと仏教カウンセリングについての解説だ。当日の配布資料から引用してみよう。

一般カウンセリングは相手(クライエント)の良心(自我、セルフ)とコミュニケーションすることであり、仏教カウンセリングとは相手の仏心(仏性)とコミュニケーションすることである。

『いさぎよく生きる―仏教的シンプルライフ』(日本評論社)

一般カウンセリングと仏教カウンセリングの違いに触れた箇所だが、構造的に共通するのは、どちらもカウンセリングとはクライエント(カウンセリングを受ける人)の中にある「善きもの」と関わるという点だ。先程も触れたように、大下師自身ロジャーズのクライエント中心療法の立場に則っているので、この重なりは当然といえば当然なのだが、関わろうとするのが「善きもの」であるというところに、わたしは興味を覚える。

カウンセリングは相手に「寄り添う」ものと言われるが、ただ寄り添うだけであれば、対象は良かろうと悪かろうと相手でしかないはずだ。ところが、どちらの立場において、寄り添うのはあくまでも「善きもの」だという。

ここで語られているのは何に関わろうとするのかという対象ではなく、寄り添おうとすることができるのは、どのような相手の中にも「善きもの」が備わっているというカウンセラーの信念ではないだろうか。このことを相手に対する「信頼」と呼ぶこともできるだろうが、わたしはむしろこれはカウンセラーがよって立つ「世界観」というほうが近いように感じる。

いちどロジャーズの「世界観」についてまとめてみよう。ロジャーズがクライエント中心療法の根本に据えたのは、生命には本質的に生きようとする傾向が備わっているという「実現傾向」という概念だ。良い方向へ向かっていく力があらゆる生命には宿っているのだから、その力が発現しやすくすることがカウンセリングにおいても重要という考え方だ。

晩年にロジャーズはこの思考をさらに推し進め宇宙規模まで拡大し、それを「宇宙そのものの形成的傾向」と呼んだ。明治大学教授でカウンセラーの諸富祥彦氏によれば、それはこのような考え方だという。

「この宇宙には、絶えず進化へ向かっていくある傾向が存在している。人間に絶えず複雑さへ向かっていく「実現傾向」が備わっているのも、それがこの宇宙そのものの進化の一部であるからだ」

(諸富祥彦『カール・ロジャーズ入門 自分が“自分”になるということ』p.167)

このようなロジャーズの思考には、厳格なクリスチャンの家庭で育ち聖職者を目指したこともあったロジャーズ自身の生い立ちの影響も強い、と同書で諸富氏は解説しているのだが、たしかにそうしたなんらかの要素を代入しなくては理解するのが難しい考え方だろう。

生命には生きようとする力があるというのはわかる。しかし、宇宙には進化に向かおうとする傾向があると言われると、途端に追いつけなくなってしまう。それはあるかもしれないが、ないかもしれないし、いったいどこからそのような考え方は来ているのだろうか?

ロジャーズはカウンセリングの効果を理論立てようとして、彼自身の世界観に基づいて、「宇宙そのものの形成的傾向」の存在を要請した。そして、仏教カウンセリングでは、カウンセリングが効果を発揮するために、本来生命が持っている仏になることのできる可能性である「仏性」の存在が要請される。どちらにおいても、行っていることと得られる効果のあいだに、なんらかの飛躍があるからこそ、このような大きな概念が必要になってくるのではないだろうか。

わたしには、ここにロジャーズや大下師の思考の積み重ねや、カウンセリングというものに対するその人自身の関わりが詰まっているように感じられる。いったいここに何が込められているのか、とても気になるのだ。

ロールプレイ

最後に、講座で行ったロールプレイについて簡単に触れておきたい。

2日目の終わりに1時間程度、3人組になってカウンセリングのロールプレイを行った。ひとりはカウンセラー役、もうひとりはクライエント役、そして最後のひとりはカウンセリング過程の観察役だ。カウンセラーとクライエントは、ずっとお互いを見つめ合っていなくてもいいよう斜めになって向き合い、ふたりの真ん中後方に観察役が座る形で、7〜8分ほど「ひきこもりの家族」「夫のギャンブルに悩む妻」などからシチュエーションを選んで模擬カウンセリングを行った。

わたしは最初、「夫のギャンブルに悩む妻」へのカウンセラー役をやったのだが、だんだん会話をしているのが苦しくなってきて、途中でもうこれ以上できないと言って中断してしまった。

というのも、カウンセラー役なので、会話を進めていかないといけないのだが、クライエントも役を演じているに過ぎないため、質問をしてもどういう設定か考えての返事しか返ってこない。クライエントにも話したいことがあるわけでもないから、こちらで会話を作らなくてはならないし、話を引き出したところで気持ちが込められた言葉があるわけでもなく、どこに向かっていくのかまったくわからなくなってしまった。

わたし自身が、場の設定に気になるところがあると、場で起きていることそのものに集中できなくなりがちだから、ロールプレイに馴染めなかったというところもある。しかし、ロールプレイにはほんとに雰囲気を体験するという以上のことがあるとは思えず、拒否感だけが残った。

心の相談員養成講習会について

4月23・24日から始まる養成講座は、2年かけてカウンセリング、仏教の講義や実習をを含む全20回のコースだ。高野山が主催するということもあって、会場は関西が中心で僧侶向けに平日開催が多い。別途、交通費などの費用かかるるが、年間の受講料が5万円というのは破格ではないだろうか。

また、卒業してもすぐに何かの資格を取得できるできるわけではないが、上位のスピリチュアルケアワーカー養成講習会に医療系の資格がなくても参加できるようになる。就職に使えるというほどではないようだが、宗教性を持ったカウンセリングに関わりたいと考える人にとっては、有力な選択肢だろう。

わたし自身は、今年は月イチで大阪の講座に通っているため、今年は見送るつもりだが、来年以降また機会があれば参加を考慮してみたいと思う。

心の相談員養成講習会の情報などは以下のサイトにて。

高野山真言宗 総本山 金剛峯寺

日本スピチュアルケアワーカー協会

松下 弓月

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松下弓月(まつしたゆづき)。たい焼きと映画とコーヒーと。最近は餃子が盛り上がっています。

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